何が起こるかわからない舞台で、立ち続ける責任

“小さな空間”で、音を届けるということ

地域創造の公共ホール邦楽活性化事業の登録アーティストとして、この2年間にわたるすべての事業を終えました。

この事業は、日本全国さまざまな地域に出向き、少人数の方々と向き合いながら、小さな空間で「伝えたいこと」を直接届けていくことに大きな意味があります。
派手さや規模の大きさではなく、目の前の人にどう音を届けるか、どう心を通わせるか。
そのメッセージ性こそが重要となる事業です。

「邦楽を地域に広め、根付かせる」。
その役目の一端を担うアーティストとして現場に立つことは、喜びであると同時に、常に責任を伴うものでした。

演奏することだけでなく、言葉を選び、空気を感じ、相手の反応を受け取りながら、その場にふさわしい時間をつくっていく。
毎回が手探りで、簡単な現場は一つもありませんでした。

「超ハード!」数字の裏側にあったリアルな現場

この2年間で、研修で訪れた秩父の小学校も含めると、6県21施設、アウトリーチ21回、ホール公演5回。
数字にすると、なかなかのボリュームです^^;
一つの事業につき、4回のアウトリーチと1回のホール公演を、3日間で行う超ハードスケジュールでした。

コーディネーターの方々の指導を受けながらプログラムを練っていくのですが、この事業の趣旨を達成するためには、MCの役割が非常に重要になります。

この事業で、私が個人的に一番苦労したのは、まさにそのMCでした。
何を隠そう、私はもともとMCが壊滅的に下手くそです(~_~;)

箏は曲ごとに13本の絃のチューニング(=調絃)が必要なため、コンサートや学校公演では、曲間のMCを共演者に任せてしまうことが多く、MCの経験値がどうしても少なくなります。(とはいえ、完全に言い訳ですが……)

かつては、身内からのダメ出しはもちろんのこと、お客様からも「これはひどいな……」と思われていたであろう自覚があるほどでした。
周りを見渡せば、MCが得意な演奏家ばかり。
特に得意な人に限って、楽屋では「何話そうかな〜」なんて言いながら、舞台に出た瞬間、台本でも読んでいるかのようにスラスラ話すのです。

( ゚д゚)ハア?

こんな顔にもなります。
なんで練習もしないで、そんなに上手に話せるの!?と、ジェラシーに燃えていました。
私は真面目に練習したって下手くそなんですから……
(ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻━━┻

“言葉”もまた、表現の一部

実はここだけの話、MC講師のレッスンを一時期受けていたこともあります。
それでも苦手意識はなかなか消えず、MCをすること自体が、私にとっては大きなストレスでした。

そんな私が、MCを積極的に担わなければならないこの事業に足を踏み入れたわけです。
正直に言えば……ここまで大変だと分かっていたら、オーディションを受けなかったと思います(小声)。
というより、受ける勇気がなかったかもしれません。

覚悟も足りないままアーティストになったのかと怒られそうですが……実際、本当に苦労しながら頑張ったので、どうか許してください^^;

訴えかける対象によってMCの内容を変え、曲を演奏し、澱みなく流れるようにプログラムをこなしていくことは、私にとってハードルの高いことでした。
それでも事業が終わってみると、本当に挑戦して良かったと心から思います。

さまざまな地域で、さまざまな年代の方々と交流し、ご意見も多様だったとは思いますが、たくさんの方に私の想いを伝えられたこと、そして何より、演奏を聴いて喜んでいただけたことが、何よりの糧となりました。

止まらない舞台の上で

そんな事業の最後の現場で、思いがけない出来事も経験しました。
集大成となるホールコンサートの本番中、MCをしている最中に、分身とも言える大切な楽器の落下事故が起こったのです。

演奏の合間、言葉で場をつなぎ、次の曲へと気持ちを運ぼうとしていたその瞬間でした。
一瞬、頭が真っ白になりました。
心配や動揺、さまざまな感情が一気に押し寄せ、正直なところ、気持ちは大きく揺さぶられました。

けれど、その瞬間にも舞台は続いていきます。
MCの途中であっても時間は止まらず、目の前には、私の言葉や音を受け取ろうとしてくださっている方々がいました。

この事業を担う立場として、そして演奏者として、その場から逃げることはもちろん、できません。
動揺したままのメンタルで、言葉をつなぎ、次の演奏へと向かい、本番を最後までやり遂げる。
それは「強さ」や「精神力」という言葉で簡単に表せるものではなく、ただ、その場に立ち続けるしかなかった、という感覚に近いものだったように思います。

演奏中も、頭のどこかではそのことを常に考えていましたし、完璧な集中状態だったとは言えません。
それでも、音を出し続けること、今この時間を投げ出さないことだけは、必死に守っていました。

終演後、すべてが終わってから、ようやく実感が追いついてきました。
無事に終えられたことへの安堵と同時に、張りつめていたものが、静かにほどけていく感覚がありました。

私の中で過去一と言えるくらいの大事件ではありましたが、このこともまた良い経験となりました。

「すべてが一期一会」各地を巡った二年間の終わりに思うこと

この2年間の事業を通して、私は本当に多くの方々に支えられてきました。
各地域で担当いただいたコーディネーターやアシスタントの皆さま、学校や会場の関係者の方々、限られた時間と条件の中で、より良い現場をつくろうと力を尽くしてくださったすべての方々。
一人では決して立ち続けることのできない現場ばかりでした。

そして、何よりも、厳しいスケジュールを共に回り、舞台に立ち続けてくれた共演者の存在は、私にとって大きな支えでした。
それぞれが抱える疲労やプレッシャーがある中でも、音楽に向き合い、目の前の状況を一緒に乗り越えてくれたことに、感謝の気持ちは尽きません。

小さな会場で、近い距離で音を届けるからこそ、こちらの状態はそのまま相手に伝わります。
その一方で、最終日のホール公演では、広い空間に集まった多くの方々を前に、これまで積み重ねてきた時間や想いを、ひとつの形として届ける特別な感覚がありました。
どの現場でもごまかしはきかず、自分自身のあり方が、そのまま舞台に映し出されるような時間でもありました。

この経験を経て改めて感じたのは、舞台という場所の厳しさと、同時にその尊さです。
何が起こるかわからないからこそ、その場に立つ責任があり、最後まで音を届ける意味がある。
そうしたことを、身をもって突きつけられたように感じています。

立派な締めくくりの言葉が見つかるわけではありません。
ただ、この2年間の事業を無事に終えられたこと、関わってくださったすべての方々に支えられて、ここまで来られたことに、心から感謝しています。

そして、この経験もまた、これから舞台に立ち続けていく中で、自分の中に積み重なっていくのだと思います。

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